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395件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2015-08-05 第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第8号

シベリア出兵なんかだと、これは邦人というよりはチェコ軍団救出ということでしたけれども、シベリア出兵なんかでもやっぱりそういう救出ということが最初に挙げられていたわけですし、田中義一内閣のときの山東出兵なんかの場合は日本人居留民の保護が目的とされていたわけですよね。その結果、シベリア出兵は七万人も送り込んでいるわけですよね。  

水野賢一

2015-06-01 第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第6号

細野委員 これは大事な問題なので私も逃げずに私の見解を申し上げますと、世界征服という、この部分については、これは田中義一、戦前総理田中上奏文というのがきっかけとなっていて、GHQの中でも大議論があった、東京裁判でも取り上げられているという経緯がありますね。私も、久しぶりにそういうのを全部調べてみましたけれども、やはりこの田中上奏文の実在については、これは極めて怪しい。

細野豪志

2015-02-16 第189回国会 衆議院 本会議 第6号

おらが大将で知られる田中義一首相の御子息で、十三期衆議院議員を務められた田中龍夫元文相、通産相は、私が政治上の父とも師とも仰ぐ方であります。  引退表明される一カ月前、私を伴い、明治維新の志士を輩出した郷里・萩の松下村塾で知られる吉田松陰先生の墓参りをいたしました。言わず語らず、後継者としてのあるべき心構えを示唆されたのであります。「至誠にして動かざるもの未だこれあらざるなり」。

河村建夫

2014-10-06 第187回国会 衆議院 予算委員会 第3号

もう一九二七年の田中義一内閣のころからこの議論をやっている。  特に、しっかりとこの国の形を見据えようと思ったら、私、違和感はありますけれども、民主党の平成十二年のこのパンフレット、私も自民党で道州制の第三次報告がまとまってからこれを見ましたけれども、すごくよくできていますよ。本当にわかりやすい。

松浪健太

2010-05-20 第174回国会 衆議院 決算行政監視委員会第二分科会 第3号

戦前も、道州制への改革等田中義一内閣とかそういったときに出たというような話も私は聞いたことがありますし、戦後も第四次地方制度調査会でこうした問題が取り上げられたという経緯もあるかと聞いております。  こうしたことも踏まえて、まさに百四十年ぶりに出た大臣が、百四十年近く変わっていないこの枠組みを変えていただきますようお願いを申し上げまして、私の質問を終わらせていただきます。  

松浪健太

2010-04-21 第174回国会 衆議院 内閣委員会 第8号

問題はその後で、その文章をそのまま言いますと、政党人事介入田中義一政友会内閣にかわる浜口雄幸民政党内閣のもとでも繰り返された、最後の政党内閣となる犬養政友会内閣で過度をきわめた、しょうけつをきわめた、結局それが、政党に対する国民そして軍部不信感や反発というものを深めた、軍部政治進出を果たしたことになったんだ、軍部独裁につながっていった。  

金田勝年

2009-02-23 第171回国会 衆議院 予算委員会 第18号

それは御存じだと思いますが、例えば、第一次若槻内閣田中義一内閣にバトンタッチした。それから、その次に田中義一内閣浜口内閣にバトンタッチをした。その次に第二次若槻内閣犬養内閣にバトンタッチした。その次に犬養内閣斎藤内閣にバトンタッチした。斎藤内閣岡田内閣にバトンタッチした。  

筒井信隆

2008-11-13 第170回国会 参議院 外交防衛委員会 第7号

内閣総理大臣麻生太郎君) 田中義一の話が先ほど引用されておりましたけれども、この統帥権干犯事件というのは歴史としてよく勉強しておられるんだと思いますが、旧帝国憲法に基づくところでありまして、今この種のことが起きないように、現憲法では統帥権干犯というような状態には起こり得ない、もうよく御存じのとおりだと思います。

麻生太郎

2008-11-13 第170回国会 参議院 外交防衛委員会 第7号

○国務大臣河村建夫君) 今回の田母神前航空幕僚長の件に対しては、先ほど来お話しのように、解任後、辞任の説得、同氏が拒否、迅速な懲戒手続がなかなか取れそうもないと、こういうこともあって十一月三日付けの退職、現実的に取り得る最も厳しい措置であったというふうに考えておるわけでありますが、これ、今御指摘田中義一首相の件につきましては、あれは満州重大事件のことをお指しになっていると思います。

河村建夫

2008-11-13 第170回国会 参議院 外交防衛委員会 第7号

実は、官房長官にちょっとお聞きしたいと思いますが、今も、総理がこの間寄稿された文芸春秋に東京裁判についていろんな論文が出ていますけれども、その中で田中義一総理昭和三年ですけれども、張作霖爆破事件を起こした河本大佐軍法会議にかけられず、そして与党や軍の圧力に屈して行政処分だけに終わらせてしまったと。昭和天皇も厳しくこの田中義一首相を叱責されたと。

藤田幸久

2008-11-12 第170回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

田中先生は私に後継指名をされて私が出てきたわけでありますが、その故田中龍夫先生の御尊父は故田中義一首相であって、いずれも私の郷里の萩市の大政治家、先輩であります。  そういった関係で、私は、田中龍夫先生のお住まいに学生時代からずっと出入りをしておりまして、要人やマスコミと対応される、東京政治活動を見てきたわけでございます。

河村建夫

2005-05-13 第162回国会 衆議院 外務委員会 第7号

田中義一首相中国侵略計画昭和天皇に密奏した文書、と記述しているが、中国側のねつ造だったことは、とっくに立証されている。」これはもうほとんど間違いなくインチキだとこれだけ言われているんですよ。それが中国の教科書ではこうやって載っているわけですね、きちっと載っている。それが日本中国侵略の大きな根拠として、理由として説明されている。  

松原仁

2005-03-02 第162回国会 衆議院 本会議 第8号

民政党総裁浜口雄幸総理になったのは、政友会田中義一内閣が、今回の日歯連のような汚職の続発、満州における事件、そして重要法案の流産で倒れた後でありました。  そのときの政友会は、なお議席二百三十九を占めていました。野党民政党、つまり浜口雄幸政党ですが、百七十二、政友会は圧倒していたんです。議席数を見れば、現在の自民党二百四十九、民主党百七十七とほぼ同じであります。  

島聡

2004-05-12 第159回国会 衆議院 武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会 第14号

中塚委員 関東大震災のときだけではなくて、田中義一内閣のとき、先ほども申し上げましたが高橋是清大蔵大臣、この人が、全国銀行が二日間休業する間に三週間のモラトリアム、支払い猶予令を発したということも記録に残っておりますから、災害だけじゃなくて金融システムの不安、何が引き金になるかというのはいろいろあるというふうに思いますけれども、そういった事例もあるようです。  

中塚一宏

2004-02-18 第159回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第4号

後藤新平外務大臣のときだったと思いますが、軍の田中義一さんやなんかの行け行けどんどんをようやく収拾して、アメリカは二年で撤退してしまいましたから、その後ようやく収拾したんですけれども、尼港事件の後ですね。ですから、どうも私は、この何のため出兵、大義なき出師と言われたシベリア出兵を思い出して非常に背筋が寒くなるわけであります。

片倉邦雄

2003-05-08 第156回国会 衆議院 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会 第4号

また、それは、昭和四年の田中義一内閣総辞職の苦き経験に基づくものであったとも言われております。  その証拠に、昭和天皇のもとで、御前会議は、昭和になりまして、昭和十二年から終戦に至るまで合計十五回開かれております。天皇は、全くと言ってよいくらい発言しておられません。  

森岡正宏

2001-11-09 第153回国会 衆議院 外務委員会 第3号

一九三〇年代に、幣原協調外交か、あるいは当時は田中義一内閣もと軍が非常に強くなったわけですけれども、我々が、外交が防衛をきちっとコントロールできているかということも含めて、それはシビリアンコントロールのすべてじゃないと思いますけれども、そういう意味では、ケース・バイ・ケースでやりますということでほうっておく話じゃないと私は思うんです。  もう一度お答えできますか。

山口壯

1999-12-09 第146回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第3号

それから、これは、国会に答申が出された後、今先生の御懸念の問題、中央官庁、今あるものをどういうふうにしていくのかとかいうようなことが具体的になってくると思いますので、私は、昭和四年にできた、田中義一内閣ではなかったかと思いますが、今の官邸、ライトさんがおつくりになった大変価値のある建造物でございますから、そういうものもちゃんと残しながら、それからまた、今私どもについていてくださるような役所の方々も、

中山正暉

1999-03-02 第145回国会 参議院 予算委員会 第8号

つくられたのが一九二七年、田中義一内閣、今から七十年ほど前であります。それはよくわかります。そういうことを言いますと、この国会だってそのころつくられておるものですから大変古くなっておる。あちこち水漏りの跡もあるようではありますけれども、補修してもっていけば、今までも随分補修もしておりますけれども、これから三十年、五十年は十分に使えるんじゃないか。

佐藤道夫